広島県医師だより 連載記事


光の旅路(19)2015.8月号

「雨ぬれて」

挿絵1「雨ぬれて」 145×77cm 2015年制作 紙本彩色

 

この絵の取材地はドイツの南バイエルン州ローテンブルクという小さな城塞都市です。ここはドイツ・ロマンチック街道のノイシュヴァンシュタイン城と並ぶ世界的な観光地として知られています。旧市街をぐるりと囲む城壁や門と建物群。名物のお菓子である揚げ菓子のシュネーバル(雪玉)が有名です

第二次世界大戦終戦直前の1945年に米軍の空爆を受け、主に旧市街東部の家屋、公共建築物、望楼と市壁が600mにわたって破壊されました。

さらなる爆撃を受けるところを、この街の美しさを聞かされていた米軍人が作戦に反対した事、ローテンブルクを守備していたドイツ軍隊長も速やかに降伏したことにより、最も重要な歴史的建造物のある地域は被害を免れる事が出来ました。

現在は再建された東側の城壁の内部を歩いて回ることができます。城壁を歩くと、壁に石のネームプレートがたくさん埋め込まれています。

これは再建のための資金が必要だった街が一計を案じ、一定以上の額を寄付した団体・個人名を市壁の通路内側に彫り込むという『お返し』つきで、全世界に寄付を要請しました。このことで多額の寄付が寄せられ、街は戦前の状態に忠実に再建されました。

ネームプレートには日本の個人名や企業名が多数見受けられ驚きましたが、いかに日本とローテンブルクの繋がりが深いかが分かりました。

ローテンブルクのホームページより寄付出来るみたいです。一口1000ユーロ(14万円)ということですからローテンブルク城壁に自分の名前を残すのも面白いかもしれません。

 ※参考資料『ウィキぺディア』引用

挿絵2「カトレア(素描)

挿絵3「アイリス(素描)

 

 

展覧会のおしらせ

『第70回春の院展』 広島展

《日時》8月13日()~8月24日()

《場所》そごう広島店

一般600円、大学生以下無料

『雨ぬれて』を出品致します

お近くの際は御高覧頂けましたら幸いです。


光の旅路(18)2015.6月号 

「Blowin' in the Wind  -風に吹かれて-」

 

 このたび広島で2年ぶりに個展を開催します。

今回は「空と心」をテーマに広島で音楽活動をされている上垣内さんとコラボレーションします。

 事の始まりは上垣内さんが所属している「Trio Khrossトリオ・クロストリオクロス」(ヴァイオリン、クラシックギター、チェロによるアンサンブルグループ)の演奏会を聴きに行ったことからです。

 音色にも喜怒哀楽の波長があるように自分の想いを音色に変換する、

どのように作曲されるのか興味をもちました。お互い分野も表現方法も異なりますが想いを込め形にすることは同じです。

 このたびのコラボは今回のメインの作品に曲をつけていただくこと、イメージもあまり固定してしまうとよくないと思ったのでおおまかなテーマを伝えて後はお任せしました。

なので演奏と作品とでどのようなものになるのか、本番当日開けてみないとわかりません。

 Blowin' in the Wind  風に吹かれるように

その時その時の気持ちを形にした作品をメインの作品合わせて十数点の展示発表します。

 6月14日のミニコンサート乞うご期待ください。ご予約お問い合わせは西原までよろしくお願いいたします。

 

挿絵1「明日への指針(下図)」 2015年制作 パステル

挿絵2「懺悔 Confession」60×30cm 2015年制作 紙本彩色

挿絵3「思惑 Expectation」60×30cm 2015年制作 紙本彩色 

 

 個展のおしらせ

「明日への指針」

日時 2015年6月13日(土)~19日(金)

11時~19時(最終日18時まで)

場所 ギャラリーSORA

   広島市中区小町5-32ブルースカイ小町2F

   TEL082-249-1246(ギャラリー)


光の旅路(17)2015.4月号

「Tivoli/イタリア」


  Tivoli(ティヴォリ)はイタリアの首都、ローマから東に30km離れたところにあるという小さな街です。ティブルティーニ山の西側にあり、街の裾をアニエーネ川が流れています。

古代ローマ時代から保養地として知られ、ハドリアヌス帝や多くの貴族たちによって別荘(ヴィラ)が建てられました。

ヴィッラ・デステ(エステ家の別荘)、ヴィッラ・アドリアーナ(ハドリアヌスの別荘)のふたつが、ユネスコの世界遺産に登録されています。

ちなみにティヴォリ(Tivoli)は「チボリ」とも呼びます。

倉敷市にあったチボリ公園と関係でもあるかなと調べましたら、こちらはデンマークのコペンハーゲンのチボリ公園に由来しています。アメリカの「ディズニーランド」も同じくチボリ公園をモデルにしたともいわれています。今日では時代を超えて大人から子供まで世界中の人々から愛されるアミューズメントパークとなっているのはいうまでもありません。

デンマークのチボリ公園は1843年に国王が市民の娯楽施設を作ったことからはじまっています。この時のコンセプトが「階級の差別がなく、誰でも楽しめる場所」だったことから、ローマ時代の保養地であるティヴォリのことも知っていたのではないかと想像してしまいました。

 話は戻りますが、町の北側にはVilla Gregoriana(ヴィッラ・グレゴリアーナ)があります。もともと古代ローマ時代の別荘があった場所で自然公園となっており、落差100mもある滝や樹々が生い茂り広島の三段峡に似ていると歩いていて思いました。歩道も渓谷なので下っていくわけでスケッチ道具を背負って移動するのに大変な思いをしました。

この絵は街の北側にある自然公園の入口から描いたものです。ありふれた日常の風景であり、街を走りぬける子供たちに希望を託して描いています。

ティヴォリにエジプトやギリシアなど各地で見た建物や景色を再現したハドリアヌス帝。時が経って、今も人々がアミューズメント好きなのはローマ時代の記憶が組み込まれているからなのかもしれません。

 

 挿絵1 「陽のあたる場所」221×175㎝ 2007年制作 紙本彩色

挿絵2「nightfall」16×23cm 2013年制作 紙本彩色

挿絵3「Red star」16×23cm 2013年制作 板彩色 

 

 


光の旅路(16)20015.2月号

「空」

 

 まだまだ寒さの厳しい時期が続きますが皆様いかがお過ごしでしょうか。

 2月は如月ともいいますが、まだ寒さが残っているこの時期に衣を更に着るところから

「衣更着(きさらぎ)」というようになったともいわれています。

「きさらぎ」という言葉は韻も奥ゆかしく、寒さをあらわしているようにも感じます。

 挿絵1 啓示 60×30㎝(2014)紙本彩色

 今回ご紹介する作品は「空」をテーマにしたものです。

空はつかみどころなく、澄みわたる青空に、曇天と

絶えず刻々と表情を変えていきます。

まるで人の心模様のように似ていることから

空と心(心情)で合わせて何か表現できないかと試行錯誤しているところです。

 話は「空」に続きますが、般若心経の中にも「空」という漢字がでてきます。

 

色即是空、空即是色 (しきそくぜくう、くうそくぜしき)

 

ここにある

「色」とは宇宙のすべての形ある物質のことです。

「空」は、実体がなく空虚であるということ。

「即是」2つのものが全く一体不二であること、つまり、

すべてのものは永劫不変の実態ではないという仏教の根本教理です。

 仏教では見えるものを「色」(物質)といい、

見えないものを「空」(原子)としました。

ですが見えるものと見えないものは同じものなのです。

なぜなら見えるものは見えないものでできているからです。

形ある見える物の背後には、必ず形作っている本質があります。

その本質はみえないのです、その見えない本質のことを「空」と読んだわけです。

 生命の源、宇宙のはじまりを探す好奇心にかられますが、そこは人にまかせて

空をどう自己にとりこみ表現するのか頭を悩ませているところです。

 

 


光の旅路(15)2014.12月号

「上高地」

 

挿絵1 「流」64×107㎝ 2009年制作 板彩色

 

挿絵2「流」制作過程 

挿絵3「清き風」53×41cm 2009年制作 紙本彩色

 

『上高地』は言わずと知れた景勝地で、長野県西部飛騨山脈の梓(あずさ)川の上流に位置しています。6年前にスケッチをしに絵画教室の生徒さんを連れて訪れる機会がありました。上高地へはマイカーでの入場は途中までしか出来ないのでバスやタクシーを使っての移動になります。この時は5人乗りのタクシーを一日貸切で松本市内から上高地を往復したのでバスの行列に並ぶこともなく楽でした。

出発地点の『大正池』は、その名のとおり1915年大正4年に突然現れた池で、焼岳の噴火活動により川がせき止められ池が生じそこに土砂が堆積して生まれたと考えられています。水没した林は幻想的な立ち枯れとなり、今は数えれるばかりとなりましたが当時は2000数百本を数えていたと言われ、今も神秘的な景観を見ることができます。

大正池から田代池、河童橋へとむかい夕方までゆっくりスケッチを楽しみました。エメラルドグリーン色の川のせせらぎや穂高を望む景観には息を飲むばかりでした。

 

この『上高地』の由来は『神垣内』『神降地』(神の降り立つ地)といい、

穂高神社の祭神「穂高見命(ホタカノミコト)」が穂高岳に降臨し、この地(穂高神社奥宮、明神池)で祀られていることに由来しています。

『神垣内』の『垣内』とは垣根に囲まれた内、屋敷の中。または集落や村などを指します。



光の旅路(14)2014.10月号

「和紙生産の問題」

 

挿絵1 「観」53×41㎝ 2014年制作 紙本彩色

 

和紙の歴史についてみると、日本書紀によれば飛鳥時代の610年に高麗僧「曇徴」(どんちょう)によって紙漉きの製法が伝えられたとされています。

最も古くから漉かれた紙は麻紙で、原料は大麻の繊維などから漉かれたそうですが、麻と同様に繊維が強靱で、しかも取り扱いがやさしく増産に適した穀紙(こくし)と呼ばれる楮(こうぞ)を原料とした紙が次第に普及しました。

木材パルプなどを原料とした洋紙に比べて和紙は格段に繊維が長いことから、薄くても強靭で寿命が長く、風合いも美しく、その優れた耐久性、保存性から世界中の文化財の修復に使われる一方、日本画用紙、版画用紙、障子紙、封筒、はがきなどにも使用されています。

越前和紙で使用している原料の80%以上は、中国、フィリピン、タイ等で産出された輸入楮です。国産楮としては、水戸の那須楮、四国(徳島、高知等)の楮を利用しています。国産楮は、文化財修復用、ふすま、壁紙、書画用などに利用され、原料は白皮のきれいなものを購入しています。

国産楮は、価格が輸入楮の10倍以上(20倍するものもある)。生産量が少なくなって、10年前頃から必要量を確保することが難しくなっており、現状では何とか必要量を確保しているという状況です。タイ楮を使用した和紙の中には、染料や顔料の乗りが悪いなどの問題があります。

こうした和紙原料の調達が困難になる中、さらには和紙では簀桁(すけた)*1など手漉き用の道具の調達が難しくなってきています。

伝統工芸である和紙を製造していくためには、道具としての「簀」が必要不可欠です。その確保のためにも、国・行政等が率先してその必要性を説き、簀網職人を育成する機関を設く。(簀がなければ伝統的な手漉き和紙は生産できず、いずれ日本から手漉き和紙はなくなります。)

「生産用具の調達先の減少」「生産用具を作る人材や育成する人材の不足」「従来の伝統的な生産用具の入手が困難」「生産用具を製作するコストの増加」

問題は山積みで国の維持・管理のための助成金等による支援によってかろうじて支えられている状況です。

 

1簀桁 (すけた)  

手漉き和紙は簀桁という用具を使ってつくられます。簀桁は竹ひご、萱ひごを使って編まれた簀に桁を取り付けたものです。

簀を編むには強じんな生糸が使われ、一定間隔で糸の締まり具合を均一にしなければなりません。また、漉く紙の種類によって竹ひごの太さは異なります。一枚の簀を編むのに一週間ほどかかります。桁は木目のよく通ったひのき材を使い狂いが生じないように、また原料をくみ込んだときに水平になるように、わずかに山形に湾曲させてつくられています。上桁と下桁で簀を鋏み込み使用します

 

挿絵2「白昼夢」22.7×22.7㎝ 2014年制作 紙本彩色

挿絵3「猫」素描



光の旅路(13)2014.8月号

「事の端(ことのは)

 

 

挿絵1「コトノハ」100×100㎝ 2014年制作  紙本彩色

 

語源由来辞典によると『言葉』という言葉の起源は諸説ありますが『事の端(ことのは)』とあります。

古くには、言語を表す語は「言(こと)」が一般的で、

「ことば」という語は少なく「言(こと)」には「事」と同じ意味があり、

「言(こと)」は事実にもなり得る重い意味を持つようになりました。

そこから、「言(こと)」に事実を伴わない口先だけの軽い意味を持たせようとし、

「端(は)」を加えて「ことば」になったと考えられています。

 

日本語の言葉の起源には多種多様の論説がありますが、8世紀頃までの文献資料しか残っておらず、よく解明されていません。

文字がなかったころは口伝えだったわけですから

漢字が入ってきたことで文章を書き記録することが出来るようになりました。

それから万葉仮名へ変化していきます。

(「安」→「ア」、「加」→「カ」、「左」→「サ」など)

万葉仮名は、「万葉集(萬葉集)*1で使われていることで有名なため、

このような名前が付いています。

さらにこれを崩して、書きやすくしたり、早く書けるようにしたら、

平仮名(ひらがな)や、片仮名(かたかな)が出来たと言われています。

(安//愛→「あ」 宇/有→「う」 のように文字を省略して書いていくうちに形成。)

 (ほぼ五十音全てに元になったものがあります。)

今、私たちが使っている言葉を「現代語」といいます。

この現代語は、明治時代に入ってから使われるようになりました。

 使われるようになったといっても、

 今の言葉になるまで少しずつ変化していったのでしょう。

また明治時代は、「明治維新」(めいじいしん)という大改革が行われました。

それまで鎖国によって世界から遅れていた日本が、一気に近代化したのです。

この改革が無ければ、今私たちが使っている現代語は無かったのかもしれません。

 

その現代語も時代の風潮により形を変え

簡略化されたり、本来の意味を失って誤った使い方が流行り

正しく理解されていなかったりしますが、知らず知らずのうちに意味をはき違えているかもしれませんね。

 

 

*1万葉集…日本で最も古い歌集。20巻あり、7世紀初期から

      8世紀中期までの和歌、約4500首を集めたもの

 

 

 

挿絵2・3・4 「蓮」25×25㎝ 紙本彩色

 

 



光の旅路(12)2014.6月号

「霧の中で」

霧の立ち込めた山の中では

生い茂った木々が

風によって重たい霧の層が晴れたり隠れたりを繰り返しながら

表れては消えていくを繰り返し

目の前に繰り広げられる風景が、ひとコマひとコマと変わっていくように

錯覚して何かを予感させるような、

何気ない景色も心の中に迷い込んだような

特別な心象風景のように感じ見入ってしまいます。

宮澤賢治の岩手の自然を舞台にした「風の又三郎」にも霧の場面がでてきます。

―主人公の少年が高原へ遊びに行き牧場の柵を開けてしまう。

逃げた馬を追った少年は、深い霧の中で迷って昏倒し、三郎がガラスのマントを着て空を飛ぶ姿を見るという場面―

物語の場面転換に使われることが多いですね、

霧が出てくることによって観る人の意識を物語に引き込むといいますか。

続いては「霧の向こうの不思議な町」柏葉 幸子 著

この本はジブリアニメの『千と千尋の神隠し』の原案とされています。

―主人公は、夏休みに生まれて初めてたった一人で、お父さんの知り合いが住んでいるという「霧の谷のふしぎな町」に向かいました。「霧の谷」の森をぬけて、主人公の目の前に現れたのは、赤やクリーム色の家が建ち並ぶ、外国のような小さな町並みでした―

 ここでも霧は現実と非現実との境目の役割を果たしています。

舞台の暗転のような、普通に考えると辻褄が合わないことも霧が解決してくれます。

また日本の古い絵巻物の中にも必ずと言っていいほど絵に雲(カスミやキリ)が描かれています。

絵巻物は、日本の絵画形式の1つで、横長の紙(または絹)を水平方向につないで長大な画面を作り、情景や物語などを連続して表現したもので「絵巻」とも言います。

絵画とそれを説明する詞書が交互に現われるものが多くみられます。

 

話が色々と脱線しましたが、絵画としての「霧」の表現は時間が流れているように感じさせることと、対象を静かに強調しスポットをあてること。

霧の中にいるような錯覚や疑似体験をおこさせ、絵に集中させる効果が無意識に働きかけるのではないかと推考しました。

中でも東京国立博物館にある長谷川等伯の「松林図」屏風は「霧」を描いた逸品です、是非機会があれば観てみてください。

 

 

挿絵1「ヴェネチアの朝」53×41㎝ 2010年制作  紙本彩色

 

挿絵2 「蒜山三座の朝」(素描)

挿絵3 「睡蓮」(素描)



光の旅路(11)2014.4月号

「さくら」

挿絵1「春の宴」53×45.5㎝ 2012年制作  紙本彩色 個人蔵

 

桜の咲く季節となりました、お花見をするのに桜の開花前線が気になる時期でもあります。

昔から和歌にも詠まれ日本人に親しまれています。

 今でこそ日本を代表とする花ですが、

奈良時代から平安時代にかけては仏教とともに中国からの文化をとりいれ

その影響もあってか桜よりも「梅」のほうが好まれたようです。

 

「ひさかたの 光のどけき 春の日に しづ心なく 花ぞ散るらむ」

                      紀友則/古今和歌集

訳 

日の光がこんなにものどかな春の日に、どうして桜の花だけは散っていってしまうのだろうか

 

この歌は紀友則の詠んだ歌で、小倉百人一首にも収録されています。ちなみに紀友則は土佐日記で有名な紀貫之のいとこにあたります。

 「ひさかたの」は「光」にかかる枕詞です。

「ひかりのどけき」は「のどかな光」と訳しています。

ここで言う「花」とは「桜の花」のことで、「暖かくなってきた春の日なのに桜の花だけはさっさと散っていってしまうのはなぜだろうか」という寂しい気持ちを表した歌です。

 

「世の中に 絶えて桜のなかりせば 春の心は のどけからまし」  在原業平

 

この世の中に、まったく桜の花というものが無かったならば、春を迎える人の心は、おだやかでいられるだろうに。

もちろん、本気で「桜なんか無かったらいいのに」と思っているわけではありません。「美しい桜の花よ、どうか散らずに、このままずっと咲いていておくれ」という、はかない花の命を惜しむ思いを、裏返しの形で表現した歌です。

 

桜の花は一斉に咲きすぐに散るため 花びらの咲いては散る間が短く、しばしば命の儚さになぞえられ多くの歌として詠まれています。

 

今も昔も日本人のDNAの中には生まれ変わりながらも「サクラ」が刻み込まれてるのだと感じました。

 

 

挿絵2 「マスカット(2013/スケッチ)」 


光の旅路(10)2014.2月号

over the rainbow

挿絵1「祈りの鐘」100×100㎝ 2009年制作  紙本彩色

 

この歌はオズの魔法使いの挿入歌で知られています。

Somewhere over the rainbow  (虹の彼方のいずこか) 」  

これからはじまる物語をワクワクと想像させ、真実と虚像が表裏一体の渦となっていきます。

話はドロシ-の家が竜巻で飛ばされてしまうところからはじまり、

「頭がよくなりたい」案山子、「心がほしい」ブリキのきこり、

「勇気がほしい」ライオン、「故郷にもどりたい」ドロシ-。

それぞれ失ったものを手に入れる為にオズの国王に会いに行く旅に出ます。

ミュ-ジカルや絵本、アニメにもなっていますね、

さて、自分に無いものを欲しいという願望。

努力して苦労すれば必ず報われ成功する、というのは今までよくある話でした。

 今の世代はローリスクで安定した仕事、夢より現実をみて、問題があっても見て見ぬふりをする人が多いように感じます。

日本は高度経済成長期を終え、今の就職難、バブル景気や金利で海外旅行に行けたなんて話を聞くとにわかに信じがたい。自然と財布の口が堅くなるのはしかたのないことで、スポ-ツ車や高級時計を持つことがリスクと捉えるのもうなずけます。

また、ネットでの情報量とメディアのスピ-ドは著しく進歩をしており、

「いつでも、どこでも、便利で安い」を手に入れた代償に常にストレスにさらされる社会にもなりました。

スロ-ライフ、ロハス、といったファスト~とは逆の生活スタイルが提唱されるようになり、お金はあるけど時間はない生活よりは、お金はないけど家族と過ごす時間が増えるのでよいというのは 今までの価値観を逆手にとった新たな「幸せの青い鳥」なのかもしれません。

人の欲は尽きることはないけども、物質的なものの価値より精神的な価値を若い世代が求めているのも確かです。

エネルギ-資源、少子化、社会福祉など様々な問題が自分たちの世代に重くのしかかっている現実もあります。

 

ジュディ・ガ-ランドの人生を追憶すると 明るい希望の光を求め成功し、身も心も疲れ果ていつの間にか栄光も過去のものとなり、歌い手の誇り使命感で力をふりしぼりかろうじて「over the rainbow」を歌う姿に人々は感銘をうけます。

成功も転落も含めての人生なのだと 彼女の歌声と旋律一つ一つが哀愁を帯びて心に響いてきます。

ドロシ-達のように旅の道草をしているときが人生のうちで一番楽しい時なのかもしれません。

明るい希望のある未来へ、青い鳥が羽ばたいていることを信じて。

 

挿絵2 twinkling (2013/板彩色)」  

挿絵3 「パフィオペディラム(2013/スケッチ)」 

光の旅路(9)2013.12月号

「散歩道/イタリア」

挿絵1「祈りのかたち」2013年 紙本彩色

 

日差しが漆喰壁を照らして眩しい、朝からの出来事はすっかり忘れて。

マテ-ラ・サッシの展望にただ感動していた。

 

この日はバ-リから私鉄「Ferrovie Appulo Lucane線」を使ってマテ-ラにつつがなく移動する予定でした。

旅程通りなら駅から1時間半での移動で済むのに。

いざ駅に着いてみるとなぜか閉まっており途方に暮れてしまった。

イタリア語を喋れるわけでもないので、片言のイタリア語と英語を駆使して聞いてまわっていると

「今日は日曜だから電車は走ってないよ」

鉄道が休みという感覚が日本では想像できない、ストライキかなんかかと思っていました。

どうしようかとタクシ-で行くにしてはかなりの距離でお金もかかるし

駅前に停車しているタクシ-の運転手に聞くと「無理だ」と断られ、

「高速バスでいくといいよ」と言われ初めて高速バスの存在を知り、

駅の反対側にバス乗り場があるからと言われたものの。

「停留所が無い…。」 「チケット売り場どこ?」

「1時のバスだから」となんとか聞き取れ 路肩で待っていると

同じようにトランクケ-スを持ったインド人に話しかけられ

どうも聞いてると(彼は英語を話せない、ほとんど母国語なのでさっぱりわからず)

自分とまったく同じ状況なのだと分かり、マテ-ラまで一緒に行くことになった。

バスが来るまで1時間以上もあるので近くのバルで、コ-ヒ-を。

彼はなんでもマテ-ラに親戚がいて働きにきたとの事(名前は身分証を見せられたがヒンディ-語っぽいので読めず)

始めはコ-ヒ-を飲んでいたが、次にビ-ル、飲み終えると懐から自家製?どぶろく

を取り出し勧められたが丁重に断りました。

しぱらくすると気分が悪くなったのか外に歩き出し、もどしてる模様…。

(飲まなくてほんとよかった…)

時間通りにバスが来てなんとか無事にマテ-ラに行くことができました。

旅は計画的なのよりハプニングがあったほうが思い出に残りますね。

挿絵2 「星の夜」2007年 紙本彩色    

 

 

季刊誌『Grande ひろしま』Vol.3 冬号 

12月1日発刊

表紙に作品が掲載されました


光の旅路(8)2013.10月号

「内子のまち」

挿絵1Garden2013年 紙本彩色

実りの秋を迎えました、この時期になると絵の取材を名目に和栗を手に入れる為に愛媛県喜多郡内子町へ足をのばしたくなります。

広島市内から内子町へは車でしまなみ海道を渡り片道3時間の道のりです。

内子町は江戸末期から明治にかけて木蝋製造で栄えた町で600m続く町並みには当時の町屋が数多く残っています。

内子町内から車で20分くらいのところにある石畳地区、ここは斜面に棚田や栗畑が広がり「日本の農村風景百景」にも選ばれており、古きよき農村の面影を残しています。

山をあがった所にある弓削神社には木製の屋根付き太鼓橋が残っていて、愛媛県には全国的にも珍しい屋根付き橋が多く点在しています。

屋根がついているのは風雨で傷みやすい木橋を守るためで、

多くの橋がコンクリ-ト製に代わるなか、地元の方々が昔から慣れ親しんだ木製の橋を復活させようと現存する3基を補修し建て替えながら内子の風景を守り伝えてきました。なんてことない田舎の風景もこの屋根付き橋のおかげでドラマや映画に使われ多くの観光客がここを訪れ観光資源になっています。

 

スケッチは内子町の山間の集落に流れる小さな川にかかる「田丸橋」を描いたものです。ドラマ「坂の上の雲」司馬遼太郎原作の一場面にもこの橋がでてきます。

 

和栗は「道の駅内子フレツシュパ-クからり」にて購入することができます。

果物や野菜も多く揃ってました、通販はできないのですが市価の半額で買えるので近くにお立ち寄りの際は利用してみてください。

 

 

挿絵2 「田丸橋」 スケッチ (愛媛県/内子町)」 

挿絵3 「和栗」 

 


光の旅路(7)2013.8月号

「二河白道」


「二河白道」 364×236cm 2013年 紙本彩色

 仏教には 沈む太陽が示す
西方の極楽浄土への道を「白道(びゃくどう)」と言い、
中国の高僧善導大師が説かれた
二河白道(にがびゃくどう)という話があります。

 

一人の旅人が、東から西への旅路を歩いていると
突然前方に河があらわれました。
立ち止まって後を振り返ると
盗賊や猛獣・毒蛇が
今にも襲いかかる勢いで追ってきています。
途方にくれる旅人は
河の間に小さく細い白道を見つけました。
しかし白道の左の方には猛火が河のようにうねり、
右手は荒れ狂う河が押し寄せてきます。
進むも死、戻るも死と、全くの絶望状態です。
旅人は恐怖におびえながら、どうしたものかと。
すると、迷っている旅人の耳に、
東の岸から声が聞こえて来ました。
「決心してその白道を歩みなさい。
死ぬようなことはありません。
そこにとどまっていたら死ぬでしょう」と、
そしてさらに進もうとする西の岸からも、
それに呼応するように
「心から信じてすぐこちらに来なさい。
私があなたを守ってあげよう。急流の河、
猛火の河を恐れることはありません」という声が響いてきました。
その声に励まされて 白道を進む旅人ですが、
背後から盗賊や猛獣・毒蛇の声が。
「早く引き返しなさい、その道は通れない、
行けば死ぬだけだ。我々はあなたを殺したりはしない、
引き返しなさい」
旅人はその誘惑に乗ることなく白道を進み、
ついに向こうの岸に到達することが出来たというお話です。

此岸はこの世、彼岸は浄土のことです。
盗賊や猛獣・毒蛇は私たちの心に住む煩悩や悩みなど魔の心であり、
火の河は怒りの心、水の河は貪りの心を意味しています。
白道は彼岸に到ろうとする純粋で清浄な心、
此岸の声の主はお釈迦さま、
彼岸からのそれは阿弥陀さまの呼び声を表しているといいます。
とても無理と思う言葉でも自分の中にある恐怖や誘惑の言葉に惑わされる心が

困難なことのように思わさせているのかもしれません。

 

東方・浄瑠璃浄土(薬師如来)→現世・此岸(釈迦如来)→西方・彼岸・極楽浄土(阿弥陀如来)

 

何もしていなくても時間は過ぎていくもので

生活の中での悩みは尽きることがありませんが

苦労して多くのもの得るか、欲に負け煩悩の河に溺れるか、

その日の自身の行いに信念をもって前に進む勇気も必要なのかもしれません。

 

 

 

挿絵2 「浄瑠璃寺/京都」 

挿絵3 「Sewing shadow」 


光の旅路(6)2013.6月号

「雨の気配」


挿絵1 「爽風」 41×53cm 紙本彩色

 

 六月になり今年も梅雨の季節になりました。

新緑の木々は朝露に濡れてより一層深く、

川辺の草も青々とした香りを風にのせています。

 朝露がついてコガネグモの巣が浮かび上がっているところ

雨に濡れた紫陽花の葉にジッとしているアマガエルや

息を吹き返したように動き出すカタツムリなど、

小さな命の存在に気づかされる季節でもあります。

 

梅雨の時期になると蛍をスケッチしに県北へ足をのばします。

広島市内から近いところだと湯来町で六月中旬から七月中旬まで見ることが出来ます。

お薦めなのは満月の時、深く真っ青な空間のなかで蛍が凛々として神秘的なものがあります。

スケッチをしながら目と心に焼き付けては少しずつ形にしていきます。

その場で感じたことや何かしら記憶の跡というか、スケッチと一緒に言葉もメモすることもあります。

ホタルのいる川は、草蒸した中に土の香りが混じったような独特なもので

その香りで蛍の有無があると聞いたことがあります。

地域の方が川を綺麗にし蛍の生育する環境を保護しているおかげで毎年鑑賞することができます、純粋な自然環境での生育は現実では難しいのでしょうね。

両親が子供の頃にはホタルの大群も見れたしマツタケもいっぱい採れたと聞きました。

山の手入れをする人もいて恵みも多かったのだと想像できます。

 調べてみると1960年代に林業労働者が44万人存在したのが2005年には5万人です。今の状況になったのも無理もないことですが、これから豊かな水源を守るために山の環境保全をする中でどんな問題を抱えているのか知らないことが多いなと思いました。

日本画では和紙を使います。和紙の原材料は楮や三椏で作られ楮も原価の安い外国の楮が使われています。

使用している和紙が純国産の原料を使っているかは分からないのですが。混ぜないと今の値段では出来ないと思われます。

和紙を漉く職人さんも年々少なくなってきていますし、日本の伝統工芸と呼ばれるものほとんどが同じような問題を抱えています。

またこの問題もここでピックアップしていければと思っています。

 

話は変わりますが、日本画では和紙を使うときに水に滲むのを防ぐのにド-サ液を塗って防水加工をします。

ド-サ液というのは膠とミョウバンを水で溶かしたものです。

このドーサを塗る作業をする時に気を付けないといけないことは、その日の天気です。

この雨の多い時期にするとド-サが効かないことがあるのです。

最初に塗ったものが効かなければ2度、3度塗っても効きません。

手漉きの高価な和紙ですから梅雨の時期はなるべく避けてするようにしています。

 

挿絵2 「飛躍」 53×33.3cm 2010年制作 紙本彩色 


光の旅路(5)2013.4月号

「トスカ-ナの風」

挿絵1 「トスカ-ナの風」 175×210cm 2008年制作 紙本彩色 

 

日本ではよく知られたイタリアの州名「Toscana」トスカ-ナ州、州都はフィレンツェになります。

「トスカーナ」エトルリア人の土地が語源の意味となっています。

エトルリア人の話は長くなりそうなのでまたいつか考えることにして。

今回の目的地のサンジャミニャ-ノへはフィレンツェからバスで移動することができ、シエナにも近くフィレンツェから日帰り観光コ-スとしてオススメです。

イタリアの鉄道事情は日本みたいに発達しておらずダイヤも遅れがちで

当日欠便になることもあり、都市から郊外の町へはバスでの移動が主流です。

フィレンツェからシエナ行きのバスに乗って、トスカ-ナの丘陵を車窓から見ながら一時間弱の移動です。

サンジャミニャーノはトスカ-ナの中部に位置した町で

かつて72本もの塔が競い合うように建ち連ね、中世に君臨した貴族の富の象徴でした。

その塔の様子から“中世のマンハッタンとの別名も付けられるほどです。

現在は14本の塔が今にその姿を残しています。

町の中心にあるポポロ宮殿は美術館として利用されており、宮殿のグロッサの塔がこの町で54メ-トルと最も高く塔上からトスカ-ナの丘陵をパノラマで見渡すことが出来ます。

作品「トスカ-ナの風」はこの町から描いたものです。糸杉の連なる坂道にある大きな建物はワインのオ-ナ-の家なのか想像してしまいますが。

周辺の丘陵地帯は白ワインの産地としても知られています。

特徴は辛口で淡く黄色がかった麦わら色、野生の青りんごを感じさせるそうです、ラベルにサンジャミニャ-ノの文字を見つけたら飲まれて旅行の話のネタにしてみてください。

イタリアにはそれぞれの町で作られたワインがあり同じ町でも色々な味が楽しめます。

帰りのバスの車窓から見える塔の町は今見えているようにそこに存在していて貴族の旗でも掲げられていれば中世の映画が撮れそうな雰囲気が残っています。

brother sun sister moon(1972)」フランコ・ゼッフィレッリ監督

この映画は聖フランチェスコの生涯を描いた映画でサンジャミニャ-ノの町も撮影されています。この町と聖フランチェスコの故郷アッシジを訪れる方は映画を見られることをおススメします。

― Brother sun sister moon ―  原題は聖フランチェスコが神の創生物を讃美するときによく使った言葉です。

― 自然の中へ(神を想像する) そして心の中へ(神を想像する) ― 

挿絵2 「yellow star」 22.7×15.8cm 紙本彩色


光の旅路(4)2013.2月号

「蓮」

 

(ハス)は水生植物で、地中の地下茎から茎を伸ばし、水面に葉を出します。葉・茎・花には空気を運ぶための通気孔があり、全ての部分が縦に貫通していることが特徴です。地下茎は野菜の一種であるレンコンとして親しまれています。
 

泥の沼の中から出てきたとは思えないような美しい花を咲かせ、花と同時に実をつけます。その実は千年以上も発芽力が消失しない程、

強い生命力を持っているといわれています。

仏教では泥水の中から生じ清浄な美しい花を咲かせる姿が死後に極楽浄土に往生し、同じ蓮花の上に生まれ変わって身を託すという思想があり、

「一蓮托生」という言葉の語源となっています。


日本では仏前を荘厳する供華は、平安時代中期(11世紀)頃より香道、華道(挿花)、茶道などが相互に影響しながら芸域に発展し、それを業(なりわい)とする家元が生じてきました。

 華道の家元は「挿花(立花)の基本定型」を定め、それを伝える『花伝書』を伝えています。

蓮を生けるには、蓮池の風情を想わせる自然感を重んじており、花より葉の方が重視されます。

  『花伝書』には、蓮を生ける時「三世を立てよ」と伝えられています。「蓮花・蓮葉」で過去、現在、未来を瓶花に表現しなければなりません。過去は「開き切った葉・果托」、現在は「中途開きの葉・開花」、未来とは「剣(巻)葉・蕾」をいいます。

 このように、しばしの生命である挿花に蓮花を用い、過去、現在、未来の三世を幽玄に表現しています。

日本ならではの時空間、虚空間を演出する蓮活花の伝統芸術といえます。

 

東日本の震災から2年の月日が経とうとする中で、犠牲になられた多くの御霊への鎮魂歌として今の自分気持ちをこの絵に残 しておきたく筆をとりました。

時がたてば記憶も色褪せ、危機管理も疎かになって惨事を招く。また同じことを繰り返さないためにも「現在」をどう色あせることなく後世に伝え続けることが出来るのか。

 

この絵は「過去(飽和)→現在(破壊)→未来(再生)の循環」と「生と死」の中で姿を変えていく「命のカタチ」を表現したく描きました。

見ていただいた方の心に何かしら「カタチ」を残していただけたら幸いです。

 

 挿絵1 『イノチノカタチ』 339×130㎝ 2012年制作 紙本彩色  個人蔵

 

「西原陽平 日本画展  -イノチノカタチ-」

2013年2月19日()~2月24日()

am11002000

ギャラリ-G  市電白島線縮景園前駅すぐ

広島市中区上八丁堀4-1 ア-バンビュ-グランドタワ-公開空地内


光の旅路(3)2012.12月号

「イタリアの教会」

 

挿絵1「残響」 紙本彩色 215×170cm 2009年制作 再興第94回院展 出品作

この絵はイタリア/アッシジのサン・フランチェスコ聖堂を描いたものです。

アッシジの町はイタリア中部トスカ-ナ地方の小高い丘の上にあり、城塞で囲まれた町並みには中世の名残りを感じることができます。

ロ-マから列車で2時間かけアッシジへ。駅から旧市街へは5km離れていて、オリーブ畑が点在するのどかな風景とトスカ-ナの風を感じながら歩いてアッシジ旧市街を目指しました。

サン・フランチェスコ聖堂は、町の北西の斜面の上に建ち、斜面を有効に利用するため建物は上下二段に分かれています。上堂部分はゴシック様式、下堂の部分はロマネスク様式となっています。上堂内部はルネサンス初期の画家ジョットによる聖人フランチェスコの生涯、28の場面を描いたフレスコ画が、また下堂には『玉座の聖母と4人の天使と聖フランチェスコ』がそれぞれ一番の見所となっています。

ジョットが上部聖堂に描いたフランチェスコの生涯の中でも、最も有名な「小鳥への説教」。その精神は今も受け継がれていて、アッシジに訪れる人にとって特に神秘的な存在にしているのでは要因なのではないかと考えます。

アッシジに語り継がれてきた聖人フランチェスコに思いをはせながらサン・フランチェスコ聖堂を包む光を少しでも表現できたらばと描きました。

この建物も1997年に発生した大地震で壊滅的な被害を受けました。ジョットのフレスコ画も粉々に砕け修復不可能とさえいわれましたが、関係者の必死の努力によって見事に復興、復旧に成功し、2005年には世界遺産に登録されています。

挿絵2「ドゥオモ/matera

挿絵3サンタ・マリア・デ・イドゥリス教会/matera

この2点のスケッチは南イタリア/バジリカ-タ州マテ-ラの旧市街「サッシ」の教会を描いたものです。

この岩窟教会は渓谷の岩壁やサッシの擬灰岩を堀抜いた洞窟の中にあります。8世紀から12世紀にかけて東方からこの地に逃れててきた修道僧たちが、湿った暗い穴を祈りの場に変えたのが始まりであるといわれています。

 アッシジ、マテ-ラもイタリアでまた訪れたい場所の一つです。

町の中を散策していると、入り組んだ路地に迷い長い階段も登り降りとヘトヘトになりますが、そんな時はカフェを見つけてはエスプレッソで一服します。

マテ-ラの守護聖人はブルーナという女性です、イタリアには町それぞれに守護聖人が祭られているんですね。

今度はイタリアの守護聖人をめぐる旅でもしようかな。